9日(木) サンパウロ |
ブラジル到着。お世話になる旅行会社の蛯原さんに挨拶。その後サンパウロの町をブラブラ。 |
11日(土) サンパウロ |
サンバの楽器を仕入れているコンテンポラネアに買出し。それと毎週土曜日にやっているホーダ・ヂ・ショーロ(みんなで集まってショーロを演奏する場)を見学。
その後、蛯原さんの主宰する演歌バンドに合流し僕はベースを弾きました。蛯原さんはお礼にとサンパウロで一番美味しいというシュハスコ(ブラジルの焼肉料理)をご馳走してくれ、たまには演歌もいいなとみんなで大満足。
|
24日(金)〜26日(日) |
カンピーナス市(サンパウロから100Kmぐらいにある大きな都市)でのTubaとEuphoniumのカンファレンスに参加。実はこのカンファレンス、サンパウロ州立吹奏楽団時代でのユーホニウムのパートナー、ウィルソン・ジアスが誰かに僕がサンパウロに来ることを聞いたらしく僕に何の了承もなく勝手に招待客にされ、ブラジルに行く一ヶ月前ぐらいにいきなりメールで予定表を送ってきました。いつも思うのですがこういうところがいかにもブラジルという感じがします。初日に22人、次の日に リオから11人が最後の日には総勢60人ぐらいになりました。初日にユーホニアムの クラスを受け持ち1人ずつ見たのですがみんな驚くぐらいうまくなっていてびっくり。僕の知らない若い生徒もたくさん増え、僕がいたころとは違いこの先ブラジルのユーホニアムに明るい兆しがさしてきたような気がして嬉しかったです。その後ブラジルでのユーホニアムの将来性についてみんなで語り合い、夜はウィルソンが指揮をするカンピーナスの青少年のオーケストラでオーディションに受かったユーホニアムの2人がソロをするというので聴きに行きました。この2人16歳と17歳と若いのですが実にいい演奏でした。 |
27日(月)、28日(火) |
始まりましたVIVA BRASILのレコーディング朝の8:00から夜6:00までとかなりの長丁場、2日間で10曲録るというきついもので心配事は絶えませんでした。
ウドソンから普段クラッシックを演奏しているブラジル人達は殆どサンバと触れることがなくサンバの吹き方やのりについては余り触れないほうがいいと忠告され、特にサンバのグルーブについては我慢しろといわれました。僕はいくらいつもクラッシックばかり演奏していてもブラジル人はみなサンバは知っているだろうと鷹をくくっていましたが、今回その事を身を持って体験しました。でも、やはりブラジル人はみんなサンバが好きみたいです。2日目はフレッドも1曲ショーロ風の曲をバンドと録りました。十分な時間がなく練習回数も少ないと、何かと問題は山済みでしたが何とか無事にレコーディングを終えることが出来ました。 |
11月1日 |
この日はフレッドとのレコーディング、ウドソンと3人で昼食をする約束をしており12:00ぴったりにタクシーでやって来ました。昼食を食べながら簡単な打ち合わせと今後のことについて話し合いました。彼は僕が主宰する<エザルタード・サンバ・ブラスバンド>でソロをしてみたいと、そのための曲を書いてくれればいつでも日本に行くと言ってくれました。(もしかしたら本当に実現するかもしれません)
曲はウドソンがこのレコーディングのために書き下ろした<Um Chorinho Pro Fred>トランペットをフューチャーしたショーロで僕とウドソンがサポートします。前半トランペット、中間部のレントの部分をフリューゲルホルンで演奏するのですが、このレントの部分がメロディーもいいのですがフレッドのソロが泣かせるソロでとてもよい仕上がりになりました。さすが世界のフレッド・ミルズというかんじ。その後は今回録音した物の編集作業に入り帰国の日を迎えました。 |